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TAKUYA HANE

ホテル論|人間らしさの追求


■食う寝るところ、住むところ

今回の米ツアーもいわゆるホテルではなく、コンド、アパートメントスタイルが中心。いつも通り、台所付きの空間はほんとに快適!

僕は恐らく、年間の半分以上、家にいない。特に春、夏、秋はひどい。ほとんど出張が続き、ホテル族のように外泊をしている。

で、世界中のホテルを見ていて、二つの方向に向かっていると思う。

一つは値段競争。サービスがどんどん簡素化され、横になれればいい、シャワーさえ浴びられればいい、といったもの。

日本でもこれが顕著・・・だった。

しかし、日本における安売り合戦は、底値をついた感がある。インバウンドの客も増えて来ており、そんなに安くしなくてもみんな泊まってくれるので、値段だけの勝負は終わりつつある。

そもそも安いといろいろ問題も起こる。

ビジネスホテルでは、一晩で、従業員が、わずか数名しかいないというとこさえある。

人件費をとことん削らないと、利益が出せないからだ。

そうなると、泊まっている客も色々な問題に遭遇することになる。

お湯が出ない、トイレットペーパーが補填されない。文句を言えば、従業員の態度が悪いなどなど・・・。

中国で、すごく安いところに泊まったことがある。部屋に入るとトイレが流れない。だから部屋をかえてもらった。すると今度は、シャワーのお湯が出ない。もちろん変えてもらった。そして最終的な部屋に到達するのに、2時間もかかってしまった。

それでもまだ終わらない。

あげくに毎晩毎晩、エロチラシをドアから部屋に差し込まれたのだ。どうやらそう言う目的のサービスもあるらしい。

辟易とした。

結局、残りの日程を解約し(お金は戻ってこない)、もっと高いホテルに変わったことがあった。

典型的な「安物買いの銭失い」である。

学生の貧乏旅行だと、そういうことも「楽しいハプニング」として許せる。

実は僕はそういうハプニングも好きだ。

しかし、仕事で行くとそれはしんどい。

結局、滞在中、昼はもちろん、夜も「戦わなければならない」ので、ゆっくり体を休めることができなくなる。

コストを下げて、自分のビジネスに貢献しようとしているのに、逆効果も甚だしい。

 

■新たなホテルの潮流

それを見越したかのように、値段勝負ではない、ホテルの流れが世界中で生まれつつあるように思われる。

それは、「ヒューマンライク」、つまり「人間らしさ」の追求である。

高級感の演出、とはちょっと違う。

キンキラゴージャスなホテルは、特別な時には意味があるかもしれない。

しかし、それはそれで疲れる。

「ヒューマンライク」なホテルでは、心地良さが重要なキーワードになる。

今回のアパートはその辺りのことをよくわかっていそうだったので、ここを選んだ。

結果、大正解だった!とても心地良い。

注)ちなみに、日本ではマンションとアパートでは、マンションが高級でアパートは安っぽいというイメージがあるが、英語では、アパートメントは普通の生活居住空間としての住居を指す。

ロビーに入ったところから、なんとも心地良い。偉そうではなく、安っぽくもなく、自分の家に帰ったみたいだ。と言っても、普段の生活感溢れる自分の家、ではなく、こんな家に住むことができたらなーと言うハイソな家、憧れの家だ。

部屋に入ると、リラックスムードが漂う。ああ、この部屋で1日いてもいいなって言うくつろぎ感。

自分の部屋だけではなく、皆がゆったりとくつろげる共有のスペースも充実している。ただプールがある、とかではなく、ゆったりと家族や仲間と話しができる空間があるのだ。

そして24時間利用できるジムも、マシーンが置いてあるだけではなく、今流行りのヨガなどができる広いスペースがある。そしてそんな空間にもちょっとした心地良い小物が置いてあったライするのだ。

この「余裕のある空間」にこそ、心地良さが生まれる。

セコセコと目的だけ、つまりは「寝る」と言うことだけを追求するのではなく、「余白」を与えることで、生活はぐっとヒューマンライクになってくる。

僕らは人間なのだ。機械ではない。

夜、倉庫に放り込んでおけばいいわけではない。

しっかりと体を休めたいし、コーヒーも飲みたいし、談笑もしたい。

この「ヒューマンライク・ファースト」の流れは、今後、あらゆるところに浸透していくと思われる。職場、学校、公的スペースとあらゆるところに、である。

人は心地良いものと心地悪いものがあれば、必ず心地良いものを選ぶ。

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